――小さな午後の四阿。

青々と茂る棕櫚に囲まれて、彼らは座っていた。

玻璃を透かして瀞みを帯びた光の下、陽子の淡い菫青の袍と台輔の深い青磁の衣が、不思議に溶け合って見えた。

その手元に目をやって、祥瓊は思わず口元を抑える。

台輔の膝に置かれていたのは、両手を並べて少し余るほどの大きさの箱だった。――陽子が箱を探していた理由。

そこには私的な贈り物であることを示す紐が、飾り気のないやり方で結ばれていた。

しばらく箱を見つめた後、台輔は顔を上げて何か言ったようだった。

頬杖をついてそれを眺めていた陽子が、笑いながら頷く。

言葉を交わしているはずの二つの声は、岩陰を流れる小川と玻璃の壁に守られて、ここまでは届かない。

無言劇のような光景から一切の音は取り払われ、あるいは二人は何ひとつ話しなどしていないのかも知れなかった。

ためらうような手つきで紐を解き、台輔は箱の蓋を開く。

我知らず息を呑んだ祥瓊の視線の先で、彼は身動きもせずに箱の中を見つめていた。傍らの陽子は何も言わない。

――台輔の手元で何かが淡く輝いたような気がしたが、棕櫚の葉蔭に遮られ、祥瓊の立つ場所から、箱の中身は見えない。

長い時間が経った後、台輔は顔を上げて陽子を見た。

その唇がかすかに動き、慎重な言葉を音もなく紡ぐ。耳を傾ける陽子の顔に微笑が広がった。

水面に広がる波紋のような、静かな笑顔だった。

それを目にしたとき、紐がほどけるのにも似た諒解とともに、祥瓊は声もなく嘆息した。――ああ、そうだったの……。

これに似た空気なら、以前にも何度となく感じたことがある。

同じ堂室にいながら別々のことをしているようなとき、陽子と台輔の間にほとんど言葉はない。けれどそこには常に透明な糸のようなものが渡されていて、一見互いに関わりなく動いているように見える二人の動作を、ゆるやかな調和で結びつけているように思えた。

ほんのわずかなもので構成され、完結した、互いの存在だけを必要とする小さな美しい空間。――それが何を意味するのか、言葉などなくても充分に分かるような気がした。

喜びとも寂しさともつかない感情を抑えて、再び棕櫚の葉陰に身を引くと、青い空を見上げて祥瓊は小さく息を吐く。

――だって仕方ない。

春咲く花に向かって、夏降る雨に向かって、そこでとどまれと誰が命じることなどできるだろう。

やがて主の方へと、台輔は何かを乞うように手をさしのべる。

掌を上にしてさし出されたその手に、陽子が片手を乗せると、合わせた掌を滑らせて、台輔はそっと陽子の手首を握った。

それから箱に掛けられていた紐を取り上げると、引き寄せた手首に丁重に結ぶ。

光射す玻璃の下、驚いたように目を瞠った陽子が、一瞬眩しいものを見るような表情になったのを覚えている。

◆                         ◆                         ◆

いつになく時間のかかった帰り支度を終え、ようやく内殿を後にした頃には、空はすでに濃い群青色に暮れていた。

宵闇の底、太師邸に向かって伸びる石畳が、今日は少しだけ長く感じられた。

南に面した庭院から居間に入って行くと、円卓を片付けていた鈴が振り返った。

「随分遅かったのね。もう少し早ければ、一緒に夕食にできたのに」

「……何だか今日の午後は、仕事に身が入らなくって」

あらどうしたの、と問い返す言葉が返ってくるものだとばかり思っていたのに、そう、とだけ答えて鈴は笑い、厨房の方へするりと消えた。

やがて奥から陶器の触れ合う音が聞こえてくる。茶を用意してくれるつもりなのだろう。

堂室からこぼれる灯りが、庭の芝草の上に長い影を落としていた。虫の音にはまだ少し季節が早いのか、夜を包む静寂は深い。

窓辺に腰かけたまま、祥瓊は長い間黙って庭院を眺めていた。

――自分からはついに見えなかった、あの小さな贈り物。

それを通して手渡し合ったものが、他ならぬ互いの心であったことに、あの二人は気づいているのだろうか。

暗がりに沈む庭院には、初夏の夜独特の甘い空気が満ちている。

午後の庭院で、ひっそりと立ち去りかけた足を止め、祥瓊はあのとき一度だけ振り返った。

青葉に覆われた玻璃の宮で、台輔が陽子の腕に結んだ紐の形。それは花を象った二つの輪に紐の端を通し、さらに二重に結ぶやり方だった。

その意味を陽子は知らないだろうし、台輔も口にはしないだろう。

永結花珠と呼ばれるそれには――その名の通り――解けることのない結び目になぞらえた、ある願いが込められているのだと祥瓊は知っていた。

タイトルは、愛読書である堀田善衛の著書から。作中の紐結びは、通称「中国結び」と呼ばれ、結び方によって無数の異なる意味を持ち、古来飾りやお守りに使われるものです。美しい謎は、美しいままに。箱の中身は謹んで、マドモアゼル方のご想像力にゆだねたく存じます。

嬉しくも５作目を数える運びとなったヨウ香さまとのコラボレーションが、GW企画の終幕となりました。そしてヨウ香さま。想像が限りなく広がる、文字通り「美しい」イラストを頂き、心からお礼を申し上げます。