セクエンツィア

―続 「自由、夜」―

　

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少数の高官を集めての有司議が積翠台で設けられたのは、内密に事情を調べさせていた使者が王宮に戻った日の夕刻だった。

最初に口火を切ったのは、やはり浩瀚だった。

「――まず考えられる対応としては、州侯を召還して納得のいく説明を求める、というものになりますが」

ただしその場合には秋官長も出席させ、尋問に近い厳しい形になるだろう、というのが浩瀚の意見だった。

「……それは避けたいんだ」

高官たちが囲む書卓を前にして、陽子は大きく息を吐く。

「実際、あの州の収穫が低かったことは明らかだ。そうでなくても、あの地域は貧しい。――本当に考えなくてはならないのは懲罰ではなく、全州の益と負担を均等にすることだと思う」

「では……」

「和州を含め、これまで低く抑えてきた州の税率を上げたいと思っている」

「――賛成いたしかねます」

横合いから降ってきたのは予想した通り、景麒の厳しい声だった。

「何故、この時期にそれを仰る」

「この時期だからこそ、必要なんだと言っている」

陽子はうんざりした口調を隠そうともせずに答えた。

課税については、今日初めて話題に上ったわけではない。昨年の暮れから何度となく陽子が口にしながら、その度に景麒が鋭く異論を返し、結論が出ないまま年を越してしまったという感が強い。その言い分を認めながらも、陽子がどこかで苛立っていたのは事実だった。

「和州だけが慶じゃない。あの州の税率だけをいつまでも低く据え置けば、他州の反発を招くことくらい、麒麟でも分かるだろう」

「ならばもう少しの熟慮が必要だと、先日からくどいように申し上げている。昨年の和州の収穫高も、例年並みをやや上回った程度です。他州と比べればいまだに低いくらいなのを、主上がご存じないとは思えませんが」

陽子は持っていた書状を卓上に投げ出す。意図的に乱暴なこうした振舞いを、景麒が嫌うことはよく知っていた。

「熟慮ならしたよ。おまえに相談しなかっただけでね。この割合ならぎりぎりで行けるだろうと、柴望も地官長も、最後には首を縦に振った」

「主上の熟慮とは、広く評議を経ないやり方を仰るのか。それで国が立ち行くとでもお思いなら、驚くとしか申し上げようがありません」

耳に突き刺さるかと思われるほど険しい声に、陽子は薄く笑って景麒を見上げた。

――どう言えば相手が傷つくかは、よく知っている。何しろわたしたちは、互いの半身なんだそうだから。

「では瑛州の税率を上げるか？　今でさえ首都を置いているというだけで、慶で最も高い税を背負わされている州民だ。瑛州侯もさぞ感謝されることだろうな」

紫色の瞳が一瞬細められ、それから冷たい膜に覆われたように一切の表情が消え失せた。

景麒は視線を外し、陽子が投げ出した書状をゆっくりと書卓から取り上げる。

「――主上がご自身の判断と責任でそう思われるなら、それが最善の方法なのでしょう。わたしがこれ以上申し上げることは、もう何もありません」

今度は陽子が唇を噛む番だった。

いくら官が優れた進言をしても、最後に決断を下すのは王しかいない。陽子が迷えば、それは即座に国の停滞、あるいは衰退となって表れる。

もう大分慣れたと思っていたその孤独を、突き放したような口調で確認されると、やはり苦しいと思わずにはいられなかった。

「――お二方とも、今日のところはその辺りで」

如才なく割って入ったのは浩瀚だった。傍に控えた遠甫は何も言わない。

顔を背けた景麒の肩が強張っているのを見るまでもなく、自分が言い過ぎたのはよく分かっていた。

牧伯の報告を待つのが先です、と浩瀚が言い添え、陽子は頷く。

必要な事柄についての確認を済ませ、二、三の項目を付け足すのを、官のひとりが書き取っていく。課税については、この場で結論を出すことはできなかった。

評議の終わりを告げるように重いため息をついた陽子の目配せを受けて、彼らは一人、一人と静かに書庫から引き取って行った。

◆ ◆ ◆

このところ、こうして言い争うことが多くなっていた。

原因はその度に違っていたが、互いに投げつけ合う言葉は鋭さを増し、時間が経つにつれて、隔たりはさらに広がっていくように思われた。

――陽子、最近変だわ。

眉をひそめてそう言ったのは祥瓊だった。

――陽子だけじゃなくて、台輔も。以前だって喧嘩はしょっちゅうだったけど、少なくともこんな風じゃなかった。今のあなたたちを見てると、正しい結論を導くために議論しているんじゃなくて、ただ相手を傷つけようとしているだけのように思える。

「――景麒」

呼びかけても返事はない。

もういちど辛抱強く声をかけると、何か、という短い答えがあった。

王として間違ったことを言ったとは思わない。景麒の言い分も、台輔なら当然のものだ。それでも胸が痛むのを抑え切れなかった。

謝罪が何の意味も持たない以上、残るのはもうひとつの言葉しかないと陽子は思う。――すぐにひどい後悔に襲われると、口にする前から分かっているのに。

大きく息を吐いて、陽子は切り出す。

「おまえも分かっていると思うけど、こういうのはもう充分だ。……もっと建設的になろう」

ゆっくりと景麒が振り返るのが、そちらを見なくても分かった。

さすがに目を合わせることはできなかった。もう何度も胸の中で反芻した言葉を、陽子はそれでもつかえながら声にする。

「――少し距離を置いた方がいい。それから、時間も。祥瓊にも言われたし、自分でもそう思う。……これではあんまりだ」

こんなことを言わなくてはならないほど隔たってしまったことが、今この瞬間でさえ、身を切られるように辛い。背中を支えているのは、卑怯ではありたくないという願い、ただそれだけだった。

祈るように手を握り締めて顔を上げると、こちらを見下ろしていた濃紫の瞳と目が合った。その空虚な硬さに弾かれたように目を逸らしかけて、陽子はかろうじて踏み止まる。

「――それが、主上の仰る建設的なご意見ですか」

長い沈黙を経て、景麒はようやく口を開く。どことなく嘲笑めいた響きを孕んだ口調だった。

「ならば申し上げますが……」

こちらに向き直った袍の裾が、乾いた音で耳を打つ。

「ご提案のおつもりなら、その必要はない。一言、こう仰ればよろしいのです」

唇の端に微笑すら浮かべて景麒は膝を折り、見事なほど優雅な動作で床に額を押し当てた。――初勅で禁じたはずの叩頭礼。

その瞬間胸に込み上げたのが、怒りだったのか悲しみだったのか、陽子自身にも分からない。

「――勅命だと」

そう言い放つと景麒は再び立ち上がり、二度とは振り返らずに堂室を出て行った。

陽子が最後に目にしたのは、すべての言葉を拒否するような冷え切った横顔だった。

【序】 【�U】

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